MONOLOGUE
2023年9月29日
ほかほかご飯が教えてくれたこと
ずいぶんと秋らしくなってきましたね。
先日、ふらりと入ったお茶屋さんで、金木犀をブレンドしたという烏龍茶をいただきました。ふわりと香るあの香り。もう少しすると街にも漂い始めるかな、と心待ちにしている私がいます。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
さて、今日はちょっとした暮らしの変化について綴らせてくださいね。

夏の終わりくらいからでしょうか。
我が家の家電が次々に壊れ始めました。炊飯器が完全に動かなくなり、掃除機とテレビもかなり怪しい雲行きです。
どれもそれなりに年季が入り始めていましたし、壊れたものは同じ時期に買い求めたものなので寿命か・・・とも思いましたが、タイミングがあまりにも重なり過ぎていて驚きました。
まるで伝染しているんじゃないかしら・・・
家電ってどうしてこうも一度に調子を崩すのでしょうね。
けれども、この流れのなかで実は面白いことに気がついたんです。
炊飯器、どうする?
電源が入らなくなってしまった炊飯器。
壊れたことに気がついたのが夜だったこともあり、買い替えに走る時間もなく、急遽お鍋でご飯を炊いてみることにしました。
お鍋でご飯を炊くのは初めてのことです。
以前、友人から「簡単だよ〜」と聞いたことがありましたが、内心「いやいや絶対面倒臭いでしょう」と心のなかで突っ込み、やってみようとさえ思いませんでした。
けれども、背に腹は変えられない。
水加減や時間の目安を検索して、手持ちのスープ鍋を使って炊いてみることにしました。
いつものようにお米を研いで、水加減はいつもより丁寧に計量カップで測って、鍋を火にかけます。
たまたま蓋がガラス製だったので、お米が炊けていく様子を覗き込みながら調理を始めました。
ふむふむ、こんなふうに炊けていくのか・・・なんて、これまで炊飯器というブラックボックスの中で繰り広げられていたであろう炊飯の様子に思いが馳せられます。
しばらくすると鍋からシュンシュンと湯気が上がり、お米の甘い香りが部屋に満ちてきました。心なしかそれもいつもよりふくよかに感じられて、炊き上がりに期待が高まります。
「蒸らし」の時間を経て、さてどんなお米が炊けているのかしら・・・

もうね、驚きました。
直火で炊いたご飯って、こんなにも違うものなのか!と。お米の品種も研ぎ方も昨日と何も変わらないのに、しゃもじでかき混ぜるとあきらかにふんわりとして、お米が喜んでいるかのよう。
思わず興奮し、子どもたちにも声をかけました。
「今日のご飯は、絶対美味しいよ〜!!」
思った通り!家族の舌はとても素直でした。私は飯碗に皆のおかわりをよそいながら、ほくほくとした気持ちになりました。
いつも少し余る程度の量を炊くのですが、あっという間にお鍋の中は空っぽに。
それを見た息子が
「ママは、米の炊き方を会得した〜!!」
ゲームか何かの解説さながら、嬉しそうに言いました。

さてどうしようか?
このお味を知ってしまったら、炊飯器を買い直すのに違和感がでてきました・・・
「炊飯器、本当に必要?」
よく考えてみたら、タイマー機能も使わなくなっていましたし、毎回ほぼ食べ切る分だけを炊く我が家には保温機能も必要ない気がしてきました。
私は「買い直す」という選択肢をやめました。
もしかしたら、これもタイミングだったのかもしれません。
会社勤めをしていた2年ほど前までは特に、便利こそ是と思っていましたし、家電はハイスペックなものを選ぶべき、と思っていました。
いかに家事の手を抜けるか、とにかくその安心材料が欲しかったんです。
いろいろな調理機能がついた電子レンジ、あれこれ付属パーツのついた掃除機・・・いろいろと買いましたが、思い返してみたらそれらはほとんど使ったことがないんですよね。
そこで私は、前々から気になっていた、伊賀の土鍋を求めることにしました。
敬愛する料理研究家の津幡英子さん(ドキュメンタリー映画「人生フルーツ」のおばあちゃまです)が長年愛用している土鍋が伊賀のものであると本で読んでから、いつかは・・・と密かに思いながら、求めるタイミングを逸していました。
お米用に内蓋のついた黒々とした土鍋が届いた時の喜びと言ったらありませんでした。

暮らしを愛するって?
今回に限らず、どんなに大事に使っていても、形あるモノは消耗し、いつかは壊れます。
でも「壊れる」ということは決してマイナスではなく、それによって見つめ直す機会をもらえる、ということなのかもしれません。
日常は何も変わらないように見えて、暮らし方や好み、家族の成長や生活時間などによっても日々移ろっているものなのですよね。
それに合わせて「本当に必要なもの」「幸せを感じるもの」を選び、愛でていく。
もしかしたらそれが ≪暮らし≫そのものなのかもしれません。
半年ほど前に読んだある本を思い出していました。
安達茉莉子さんの「私の生活改善運動」
この本は、暮らしを見つめ直していく、いわゆる実録エッセイです。
「運動」とタイトルにうたいがならも、ちっとも押し付けがましくない。
ごく身近な生活の中で起こったことをその都度見つめ直していたら、いつの間にか暮らしぶりが大きく変わっていたという、そのみずみずしい積み重ねに強く引き込まれました。
部屋の中は安心して幸せな気持ちになれる場所であるべきである。ただ住めればいいというわけではない。そこにいて幸せになるように、愛おしいものを積極的に生み出していっていい。
私は少しずつではあるが、自分で自分の生活を作り始めていくようになった。自分が見て幸せになるものだけを残し、そうでないものは捨てる。つまらないことはやらない。好きじゃない場所には行かない。
自分のことが好きになるなんてよくわからなくても、自分の生活を好きなものに変えていくことはできる。たとえ制約があっても、小さなことを変えるだけで、思いがけないほどに流れは変わっていく。
— 安達茉莉子「私の生活改善運動」より
まさに、そういうことなのだと思います。
雑誌で紹介されているようなライフスタイルでなくていい。「暮らしを変えよう」なんて旗を降る必要もない。
今の自分と家族に合ったものを選び、愛でていく。今回のことで、少しだけその感覚がつかめたように思います。
そろそろ新米も並び始めるころですね。この秋は、求めた土鍋で美味しいご飯をたくさん炊こう。
きのこご飯とかも、きっと堪らんのだろうな。