MONOLOGUE
2023年8月29日
過ぎゆく季節に思いを馳せて
明け方と宵の口、季節はどうやらここから移りゆくようで、散歩に出ると幾分風が涼やかに感じられます。
暦を見ると立秋もとうにすぎていて、草花や虫たちは静かに次の季節の準備を始めています。そういう姿にふいに出会すと「本当の季節はここだよ」というささやきが聞こえてくるようでおもしろい。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
今日は、この夏の出来事を少し振り返っておきたいと思います。忘れたくないあれこれを、綴らせてくださいね。
旅の始まりは突然に
この夏、大切な友人2人が、故郷の岩手花巻にやってきました。
彼女たちとは用はなくとも月に一度は集まる間柄で、互いの家を行き来しあう気の置けない付き合いをさせてもらっています。
旅は前々から計画していたわけではなく、ふいに持ち上がりました。私の夏の帰省に合わせて、花巻で集まってみるのはどうか、と。
トントン拍子に予定は固まっていきましたが、実は私は当日がくるまで「友」と「花巻」が一致できずにいました。
「彼女たち」が「花巻」に来る??
よく考えたら岩手を出てから24年、「友を連れて帰省し、街を案内する」なんてやったことがありませんでした。行きたい、という声が上がると、「えー、何にもないし、遠いよ〜!」なんて笑い飛ばしてばかりで実現には至らず。
けれども、今回は違いました。
幾度となく語ってきた花巻。
自分のルーツとなる場所は彼女たちにどう映るのだろう。
ここでひとときを共にすることで、またひとつ何かの区切りがつくような気もしていました。

雨ニモマケズ詩碑にて
宮澤賢治の雨ニモマケズ詩碑を最後に訪れたのはおそらく小学生の頃、母に連れられて足を運んだような気がします。確か石碑の前で、朗読だか演劇だかを見ました。
花巻はいうまでもなく教育の現場にも宮澤賢治が溢れていて、何かというと朗読や演劇を見せられたり、やらされたりしたものですが、当時の私はそれをどこか冷めた目で見ていました。
「またか」「ここにはそれしかないのか」と・・・ともかく、自ら賢治ゆかりの地を訪れようとは思わなかったのです。
それが、時を経て今、友を連れていきたい場所になった。
きっと、私自身もじわじわと変化していたのだと思います。
言葉を基軸に仕事をする中で、自分の中に奥深く潜っていくときに立ち上がってくる原風景や物語。
それは紛れもなく花巻の風景であり、その中には繰り返し「読まされた」宮澤賢治の作品もありました。
この3年ほどは特に気になって再読したり、足跡を追うことも増え、それが積もるうちにいつからか幼い頃には気が付かなかった背景が見えてくるようになりました。
まるで、自分の中に眠っていたなにかが浮かび上がってくるかのよう。
まだうまく言葉にできませんが、花巻という土地に根付く物語性や、素朴な風景の中に煌めくなにかに、齢を重ねるうちに気づき始めた。
それはきっと郷愁だけではないと思います。



林の一本道を抜けたところに、雨ニモマケズ詩碑は佇んでいました。
ここは宮澤賢治が「羅須知人協会」と名づけた小屋が立っていた場所だと言われています。農民たちを集め、肥料や土壌の指導をし、ときにはレコードを聞きながら詩を読むようなこともあったという「本当の幸福」を実現しようとしていた地・・・
午前中の早い時間だったからか、私たち以外誰もいませんでした。
真夏の太陽が差し込んできますが、決して暑くは感じられません。あたり一面に木々の影が落ちているからでしょうか。その影の色も青く透き通るようで、とても涼やかです。
詩碑には、親交があったという高村光太郎の書で「雨ニモマケズ」が刻まれていました。記憶にあるそれよりもずっと大きい。楓の葉が詩碑の上の方に静かに影を落とし、光と風に合わせその紋様が揺れています。
「この時間だけの光だね」
ぽつりと、友人の一人が言いました。
そう、この時間だけの光。ふと見ると横には、こんな言葉が刻まれた杭がありました。
「風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」
この杭には全く覚えがありませんでした。比較的新しいもののようにも思われましたが、たとえ幼い頃に同じ言葉を見ていたとしても、全く意味がわからなかったことでしょう。
それが今は、心にすとんと落ちてくる。
まったくそうとしかいいようのない風景が一面に広がっていたのです。


胡四王神社を詣でて
詩碑を後にした私たちは、宮澤賢治記念館のある「胡四王山」に向かいました。そう高くはありませんが地元を一望できる山です。
私はここから見える風景が好きです。
東北独特のまっすぐな杉林とわずかに混じった紅葉樹。
視界が開けるところにでると青々とした田んぼが広がり、その先には山並みが続きます。
ここに立つと、里の営みが感じられます。
耕して、受け継いで、育まれてきたものが見えるとでもいうのでしょうか。
この風景を友にも見せたいと思いました。
実は、冬にここを訪れた時に、古い鳥居があるのを見つけたのです。割と大きな鳥居でしたが、その時は人気もなく、雪も降りだしてしまって、先に進むことが憚られました。
今回この機に足を運んで、神社をお参りしてみてもいいかもしれない。

賢治記念館はお盆時とあっていつになく混み合っていましたが、神社へ続く道はひっそりとしていました。参道には人の気配が少なく、まっすぐ一本道が伸びています。
鳥居の先へと進んでいくと、突然雨が降り始めました。
私は葉に落ちるくぐもった雨音に耳をすませました。土や葉から立ち上がる香りを確かめます。
雨は苦手なのに、ちっとも嫌な感じはしません。木々に守られ、思いのほか雨にも当たりませんでした。
やがて、拝殿が見えてきました。
「胡四王神社」
いつもならそこからは開けた田園風景が見えるのでしょうが、この天気のせいかぼんやりと霧がかかっています。霧なのか、それとも雲の中なのか・・・そんなことを考えていたら、やがて金色の光が柔らかく差し込み始めました。
天気雨、だったのか。
私たちは何を話すでもなく、拝殿の屋根の下に立って、雨宿りをしました。
屋根から落ちてくる滴の美しいこと。
「あ、龍だ」
ふいに、友人の一人が、拝殿に彫り込まれた意匠を指差してそう言いました。
「龍神様は歓迎のしるしに、雨を降らすと聞いたことがあるよ」
この雨がそうだったかはわかりませんが、とにかくそれくらい神秘的なタイミングと風景であったことはいうまでもありません。




家族と友と
最後にふたりを、実家へと案内しました。
その日は、父・母・祖母、そしてちょうど帰省していた妹家族に、夫や子どもたちも揃っていました。
かけがえのない人たちが花巻に集まり、皆が顔を合わせている。こんなに幸せなことがあるのでしょうか。
話題はたわいのないことです。
日々の暮らしのこと
家族のこと
幼い頃のこと
この家のこと
母の庭のこと
採れた野菜の食べ方のこと。
いつしか人は成長する過程で「内」と「外」とを分けるようになると思います。家族の中にいる時と、外にいる時とで顔つきが少し違ってくるとでもいうのでしょうか。
演じるといったらおかしいけれど、それぞれに自分の役割を見出し、全うしようとする。
両方を持つことが救いになる時期ももちろんありましたが、今の私にはもうそういうのは必要ないのだな、改めてと感じました。
どこにいても、誰といても、私はわたし。
そう思わせてもらえることに、心から感謝が湧いてきました。
かつて暮らした場所を、今を共に生きる友と巡る。
「内」と「外」がひとつになる。
今回の旅によって歩んできた道が一本につながっていくような、自分の中にある意識が穏やかにひとつになっていくような、そんな感覚を味わっていました。




父と母が彼女たちを伴い、庭のあちこちを巡っていました。
ナスやオクラ、ズッキーニといった夏野菜。
ブラックベリーにマルベリー。
くるみに梅。
父と母の話を愛おしそうに聞いてくれる友と出会えたことに、心から感謝が湧いてきました。
最後には我が家のスイカ割りにも付き合わせてしまって・・・そもそもスイカ割りという風景を私もずいぶん久しぶりにみたような気がします。
ともかく、忘れられない夏になりました。
見せられた風景に、来てくれた二人に、迎えてくれた家族に。
心から、ありがとう。


