MONOLOGUE
2023年8月6日
夏の戸隠巡拝記
連日暑い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
夏は比較的好きな季節ですが、とはいえここまで暑いとは・・・できる限りの工夫しながら、元気に乗り切りたいものですね。
最近では、朝の散歩も涼しいうちに出かけるようになりました。いつもより2時間ほど前倒して7時前後に。愛犬を連れてゆっくりと街を歩きますが、これが案外悪くないのです。
この時間は窓を開け放っているご家庭も多く、朝食の香りが漂ってきたり、家族の会話が優しく溢れてきたり。そういう営みを感じながら街歩きは、心を穏やかにしてくれます。
ここ2、3日は立秋を前に時折涼しい風も感じられるようになり、着実に季節が移ろっているのを感じます。
1年3ヶ月ぶりの戸隠へ
8月4日に、作家の石川真理子先生にお誘いいただき、戸隠神社にお詣りに行ってまいりました。
戸隠神社を詣でるのは1年3ヶ月ぶりのことです。
昨年4月に訪れた時は雪解けが遅く、奥社まで詣でることができませんでした。封鎖された参道を前にしたとき「今回はここまで。またおいで」と大いなるものに声をかけられたような・・・
それもまた印象深い巡拝でしたが、まだ見ぬ奥社への思いが馳せられたのは言うまでもありません。
今回も朝早く出発し、宝光社→日之御子社→中社→奥社→九頭竜社を歩いてめぐる、できれば途中で戸隠山を一望できる鏡池にも立ち寄ろうと計画していました。
ちなみに、5ヶ所の神社を巡るのに車は使いません。というと、地元の観光案内所の方などは驚かれるのですが、全ての神社を徒歩で回るのです。それも舗装された綺麗な道路ではなく、各神社をつなぐ古道(神道)を。
「神様の声はとても小さいですから、静かにこの道を巡りましょう」
というのは石川先生のお言葉ですが、果たして今回は奥社まで辿り着くことができるのでしょうか。
神道を歩きて
最初の宝光社でのお参りを終えてから、一行は古道へと進みました。
決して足元がいいとは言えませんが、長い長い歴史の中で、多くの人が祈りを捧げるべく歩き、踏み固められてきた道であることへ思いが馳せられます。
どこか懐かしい土の香り。立ち込める湿気。
幾度となく落ち葉が落ちて、土となることを繰り返してきた道が、この一歩を柔らかく受け止めてくれるよう。
不思議と暑さを感じないのは、木が影をつくり、土が熱を吸収しているからでしょうか。
ふと目を移すと、青々とした苔が光を受けて輝き、シダ類は群になり元気よく葉を広げています。
時折鳴く鶯にお返事をしてみたり、ひらりひらり横切っていく揚羽蝶を目で追ったり。
人ならぬものの豊かな生命力がここに満ちていました。
奥社への道中にて
奥社へと向かう参道の雰囲気は、以前訪れた春とずいぶん変わっていました。この季節ならではの光と影、その強いコントラストを感じます。
そういえば、あれだけ響いていた雪解けの水音も聞こえません。
奥社への入り口となる随神門の茅葺き屋根は、緑に覆われていました。シダや草が屋根の上に生い茂り、植物たちの棲家になっているのです。
あぁ、夏の姿だ。
同じ場所であるにもかかわらず、こんなにも顔つきが違うことに驚きました。
すべてのものは移ろいゆき、姿・かたちを変えていく。けれどもその中にある荘厳な雰囲気はいつ訪れても変わらない。
この場所が超えてきた「とき」の長さを思います。
やがて、無事に奥社まで辿り着きました。
御神体である戸隠山、そのゴツゴツとした岩肌が間近に迫ります。
山に抱かれたように、いや、切り立った崖の裾野に食い込むように配された拝殿は、決して派手ではありませんが、長きにわたってそこに鎮座し、人々の祈りを受け止めてきたことが感じられました。
私もその歴史に自分を重ねるように合掌し、静かに感謝を捧げました。
岩、石、木々、草花、虫、それらが一体となってそこに在る・・・あの感覚はなかなか言葉にできるものではありませんね。
実は、奥社へと向かう中で、少し面白いことがあったのです。
奥社の参道は最後のところが勾配がかなり急で、敷かれている石段も一段一段が大きく、心して登らねばなりません。
かなり用心して一心に登っていたのですが、途中、一瞬その集中力が切れる場面がありました。石段に落ちた影があまりにも美しく、写真を撮ろうとカメラを向けたのです。
そのとき・・・
「チクッ!!!」
見ると、カメラを構えたその手のひらにハチが止まっていました。結構大ぶりな子です。思わず振り払うと、噛まれたところに小さく血が滲んでいました。
驚きました。
ハチに噛まれたことではなく、そのタイミングに驚いたのです。一瞬脇目をふった、その隙を見計らったかのようなタイミングでしたから。
私はこれもまた、ひとつのメッセージであるように感じました。
「これこれ、目を離すでない」
「心乱されず、今やっていることに集中せよ」
なんてね。
こじつけかもしれませんが、ふわりと釘を刺していただいたような・・・
不思議とハチに刺されたことに慌てる感覚はありませんでした。
同行者の中にお医者様がいらして、塗り薬をいただいたこともありますが、直感的に悪いものではない気がしました。
巡拝の余韻
おかげさまで、無事に巡拝を終えました。
最後に随神門を出る時、石川真理子先生が、こんなお話をしてくださいました。
随神門は「浮世」と「常世」を分ける門。
ここを出たら浮世へと戻ります。いつもここを出るときは寂しくなるけれど、
こうやって浮世と常世を往復しながら
また次の扉を開いていくのでしょうね。
巡拝の余韻が、今も胸に残っています。
「浮世」と「常世」。
私にはまだそれがわかりませんが、きっとこの日常の中でも、あちらとこちらは美しく重なり合っているのかもしれませんね。