MONOLOGUE

本が完成!エッセイ執筆の先に見えたもの

今日の横浜はお日様が雲に包まれ、空気も幾分ひんやりとしています。

朝から散歩に出かけ愛犬と近所を一周してきましたが、あっという間にハナミズキが散って、今はツツジや藤、てっせんが見頃に。

街の木々も青々とよく茂っておりました。



さて、今日はひとつご報告をさせてください。

半年ほどかけてしたためてきたエッセイが、この度本になりました!

実は見本が届いてしばらくの間、私は包みをひらくことができなかったんです。

これを手にしてしまったらきっと今まで味わったことのない感情が押し寄せてくるような・・・。
作品が自分の手を離れていってしまうような・・・

そんな気がして、怖かったんです。

けれども、ひと呼吸を置いてようやく包みを開いたとき、「あぁ、ひとつの区切りがついたのだ」と安堵する気持ちがこみ上げてきました。

喜びよりも、安心感、というほうが近かったかな。

それは、手前味噌ではありますが本の仕上がりが想像を超えて素晴らしいものだったから。そして、今の私にできることを全てやりきったからだと思います。

初エッセイ、そのテーマは?

今回の本づくりは、作家の石川真理子先生の編集のもと、去年の秋から取り組んでおりました。

私も含めて7名の書き手が、石川先生のもとで文章を学び、それぞれに作品を生み出していった、それが1冊の本になっています。

皆、プロの作家ではありません。けれどもどういうわけか、文章を書くというとてもシンプルな表現方法に心惹かれてならなかった。

導かれるように集まった私たちは、それぞれに文章を紡ぎ出しながら、濃密に自分に向き合い直していきました。

作品集「なないろの記」はまさにその結晶、です。七人七色の物語がここにあります。

初めてのエッセイで、私が何を書いたのか。

それは、幼い頃から今に至るまで、心に引っかかり続けてきたことを初めて言葉にしました。

タイトルは

「今日も山の端は茜に染まる」

物語は私の心の奥に色褪せることなく存在するある風景から展開されていきます。

青々と続く田んぼの真ん中に走る一本道。

ふいに風が吹くとざわりと大きく穂がゆらぎ、風の通り道が見えるよう。

その先にはぽつりぽつりと家々があり、田園一帯を囲むように山並みが続きます。

コラムをいつもお読みくださる皆様ならなんとなく想像がつくかもしれません。

これは、私の故郷・岩手花巻の生家の裏手側に広がる風景です。

離れてから20年余年が経とうとしていますが、どういうわけか齢を重ねるにつれてその風景は存在感を増すばかりで、ふとした瞬間に幾度となく顔を出すのです。

単純な郷愁、だけではないと思います。

私はそこに忘れ物をしてきているから。心残りがあったのだと思います。

書くことで、昇華させる

実は今回本を書くにあたって、もともとは別のテーマで執筆しようと考えていました。

もう少し仕事に寄せたこと、広告の仕事から派生するものづくりのこと、確かそんなことを書こうとしていました。

けれども、いざ筆を動かし始めたらどういうわけか違う方向へ私の手は動いていきました。自分が書いているのにまるで自分ではないものが言葉を紡ぎ出しているような感覚、とでもいいましょうか。

エッセイの冒頭となる「はじめに」を書き終えて我にかえると、そこには岩手花巻の生家の風景と私の「本当の」胸の内がしたためられていたのです。

私の生い立ちを少しお話しさせてくださいね。

私は二人姉妹の長女として、生を受けました。祖父母と父母、妹と暮らす田舎の家にはまだうっすらと家父長制の流れが残っていて、私は幼い頃から「後を継ぐ」という役割を意識せざるを得ない環境で育ちました。

お婿さんを迎え、家業の米農家を継ぎ、お墓を守って生きていく?うっすらと期待されるその道が当時は全く理解できませんでした。

どうして自分の将来を自由に描けないのだろう・・・

今でこそ美しいと感じられる故郷の風景も当時はそうとは思えず、閉塞感の象徴にしか見えませんでした。

やがて私は大学進学をきっかけに上京する道を選びます。両親からは「戻ってくることを前提に」と家を出ることを許してもらいましたが、正直なところ意中にもありませんでした。

とにかく早くここを出て、家を継ぐ問題をうやむやにしてしまおう。東京に出て、バリバリ働いて「帰れない」理由をつくってしまおう。

そんなふうにして意気揚々と家を出た私でしたが、東京はそう甘くはありませんでした。

辛いことがあったとき、踏ん張らねばならぬとき、折に触れて心の支えにするのは飛び出したはずの故郷だったのです。

あの風景を幾度となく思い出し、ときには逃げ場にもさせてもらって、結果的に家族に甘えまくって生きてきました。そして家族もそれをどこかで理解し、見守ってくれたのだろうと思います。

今、私は横浜に暮らし、夫の姓を名乗って生きていて、ささやながらも幸せな日々を過ごしています。

継ぐという選択は、しませんでした。

けれども今が幸せであればあるほど、期待される道を選ばなかった自分を思い、何かが胸の奥で疼くのです。

目の前の風景のかけらに故郷を重ねて、自分の中に確かにあの地が息づいているのを感じることも増えてきました。

◎継ぐって、どういうことだろう。
◎祖父母が、両親が、私につないでくれたものってなんだろう。
◎この先、私が継いでいきたいものって?

どこかで向き合っておかねば、と思っていたそのテーマは、無意識のうちに私の中へと積もっていたのかもしれません。

図らずも今回のエッセイは、そこに向き合う作品となりました。

「今日も山の端は茜に染まる」

故郷の岩手花巻と、こちらでの暮らしを往復しながら綴りました。

執筆の先に見えたもの

文章、というのは必ずしも「誰かに何かを伝えたい」というモチベーションだけで書くものではないと思うのです。

自分の生きてきた過程を記録し、書くことで自分へと出来事を刻み込み、また日々を歩んでいく。

その積み重ねの中で、ものの見方に変化が生まれることもあるのかもしれません。

道の途中では人との関わりや分かち合いもあることでしょう。

そして次第に、核たるものへと近づいていけるような予感も私にはあります。

そういったことも含めて、書くということの可能性は無限なのだと気がつきました。

執筆を通して私は、言葉に、文章に、自分に、もっと夢中になれた気がします。この探求はきっと終わることがないのでしょうね。

生きることと共にあるものかもしれません。

本のお求めは・・・

エッセイが収録された本は「予約注文制」にてご希望くださった方にお届けいたします。

「なないろの記」は在庫を持たずに必要な分だけを印刷・製本いたします。

7名の書き手ひとりひとりが心を尽くして書いた原稿であり、その佇まいもすばらしい一冊です。

日本画家の太宰宏恵さんの作品が扉絵となり、本に節と流れを描いていきます。

文章とデザインを総合的に編み上げてくださったのは、責任編集の石川真理子先生。

他にも多くの方のお力を借りて本が出来上がっています。

大量に刷って、大量に捨てられるのではなく、静かに、確かな存在感を放つ本を。そんな皆の思いからの「予約注文制」です。

以下のショップサイトより承っておりますので、ご希望の方は是非こちらよりご注文ください。

ここまでお読みくださりありがとうございました。

私の紡いだ一つの物語が、お読みくださる方の記憶や経験と重なり、なにかの扉を開いていくようなことがあれば、こんなにうれしいことはありません。