MONOLOGUE

生み出す仕事に欠かせないもの

「歩く」から、見えるもの、ってあると思うんです。

見える景色も、
交わす言葉も、
耳に入ってくる音も。

「歩く」という行為を通して街とのかかわりが変わり始めているのを今私自身がまさに実感しています。

というのも、以前も少し書きましたが、ここ3ヶ月ほどの間で、新しい習慣が定着したんです。

それが「散歩」。

多くの場合は愛犬のトイプードルとともに、心の赴くままに歩を進めるわけですが、彼の足取りと息づかいを感じながら歩幅を合わせて歩くこの時間が私にとって愛しいひとときになっています。

新たな習慣。見える世界。

実はこれまで私はどこへいくにも基本は車で移動していました。

子どもたちの送迎も、
ちょっとした買い出しも。

ですが今、諸事情で車を今運転できない状態になっていて、あ、事故とかではないのでご心配なく。完全に私の事務的ケアレスミスでお恥ずかしい限りなのですが、とにかく今、運転ができない。。。

そうなるともう頼るものは自分の足しかない、ということで、どこにいくにも徒歩。もしくは夫の運転する車に乗せてもらう、という状況でして、

最初は不便極まりなく自分の不注意をめちゃくちゃ責めていたのですが、

これがですね、歩くということを続けるうちにこれまで感じなかったものを感じ取るようになってきて、おもしろくなってきたんです。

何がって、それはまさに街の動きを肌で感じられること。特に散歩の途中で出くわす出来事が、とても味わい深いのです。

たとえば、ちょっと休憩させてもらういつもの喫茶店でのこと。

つかず離れずの空気感が心地よいマスターとなんてことない世間話をして、おいしいコーヒーを一杯いただくのですが、

本を読んだり、ノートに思案をまとめたりしていると一杯じゃ足りないこともあるんですよね。

それで、この間ふと聞いてみたんです。

「大容量って、できませんか?」って。

そしたらね、マスターはめちゃくちゃ柔らかい笑顔でこんなことをお話しくださったんです。

大容量はお出ししてないんですよ。
それは、この一杯がやっぱり一番おいしいから。

豆の量と、カップの大きさ、
そのバランスを実は調整していて、
量を崩しちゃうと実は大味になりがちなんです。

この量だとあったかいうちに
飲みきっていただけることもあって
後味がおいしい印象になるんですよね。

そうか、なるほどぉ、と、思わず笑顔になった私。

もうね、うれしかったんです。この一杯にマスターのお人柄が、溢れているようにも感じたから。

コーヒーへの愛、お客様を思う気持ち。

決してね、頑固な方じゃないんですよ。こだわりをおしつけるわけでもない。でもここのコーヒーが美味しい理由、この店に足が向く理由が分かった気がしたんです。

結局その時ももう少し飲みたくて同じ量のおかわりをお願いしました。このお店の居心地が、本当にありがたい^^

街の営みに、触れる意味

散歩でのエピソードをもうひとつ。

その喫茶店の並びに、いわゆる昔ながらの床屋さんがあるのです。

今まで気がつかなかったけれど、なんとも味のある看板の床屋さんでね、そこの店主の親父さんが窓越しに声をかけてくださったんです。

「かわいい犬ですね」って。

見た目はどちらかというと無口そうな印象の親父さんで、客商売、というより職人肌、って感じ。その方がわざわざ店から出ていらして愛犬を撫で始めた。

大きくてがっちり(むっちり?)としたクマさんみたいな手でトイプードルを撫でる姿がなんともね、チャーミングで。

「犬、飼ってたんですよ。
 もう、いなくなっちゃったけどね」

なんて、ボソッボソッと話しながら、可愛がってくださっているところに常連さんらしき方がが来店されて、その方も交えながらちょっとした会話が生まれてね。

何を話したわけではないけれど、なんともいえないあたたかいものが心の中に流れたんです。

そういう空気、人の動きが、当たり前にそこにあったことに、感動したんですよね。

これ、車でピューッと暮らしてる時には絶対に生まれないひととき、なはず。

街の営みとか、そこに暮らす方々、その一人である自分。そういう景色をちょっと俯瞰して眺めている私がいて、

あぁ、幸せだなぁ、
生きてるなぁ、ってね。

大袈裟だけど、
大袈裟でもなくて、
じんわりそんな想いが湧いてくる。

散歩をしていると毎日すこしずつ違うエピソード、登場人物でこういった物語が重なっていくから面白い。

生身の自分で、感じ取る!

もしかしたらこういう私の日常は、ゆるっと、ふわっと見えるかもしれません。以前の私が見たら、暇だよね、って思ったかもしれない笑

でもね、私は今、こういう時間が自分にとってとても大切だと思っていて、

というのも、ここでこうして

街の営みに心を動かしたり、
生身の人間模様を味わったり、
その背景にある景色を感じとったり。

それらは全部全部、私の仕事「ものをつくる」ことにも通じていると実感するようになってきた。

よきものづくりに携わり、人の心にそれを届けていきたいと願う時に、届けるお相手は「生身の人間」ですからね。

私自身がそれを感じもせずにいいものが届けられるはずがない。ということで、きっとこの時間を通して感性を澄みわたらせることがきっと大事なのだよな、と思うようになってきた。

もしかしたら、今このタイミングでこうして運転できない状況になったことにも意味があるのかもしれませんね。

歩く、散歩をするといったことを通してこれまで感じることのなかったなにかを自分の中に宿していく、ひとつのきっかけをいただいたのかもな、というのは、言い訳かしらね笑

ということで、お散歩。引き続き、楽しみたいと思います。