MONOLOGUE

高鳴る気持ちを、書き留める!

春の週末、皆様いかがお過ごしでしょうか。

先週はあちこちで入社式や入学式などが行われ、いよいよ始まる新生活を心待ちにされている方々もおいでのことと思います。

私は今、散歩がてらお気に入りの喫茶店に来て一息ついているのですが、ここに来る途中に藤が咲き始めているのを見つけました。

梅、ミモザ、そして桜が咲いたと思っていたら、ハナミヅキ、モッコウバラ、ツツジと続き、春のバトンはもう藤にまで渡っていたことに驚きました。

足早に過ぎていく季節を見せてくれるかのような草木の姿には、日々はっとさせられてばかりです。

さて、休みの日にこうして文章を紡ぐのは珍しいことですが、今日はどうしても自分の中にある言葉をしたためておきたくてこうして筆を取りました。

実は今、ある荷物が届くのを待っています。
うーん、荷物、というのは少し違和感があるかな。

それは、心あるもの、だから。

明日届く予定なのですが、そのことを思うと胸が高鳴り、いてもたってもいられない。こういう気持ちはなかなか味わえるものでもありませんから、言葉にしておきたいと素直に思いました。

何を待っているかというと「本」なんです。

昨年1年間、作家の 石川真理子 先生のもとで

文章を学んでいる、
エッセイを書いている、

というのはこのコラムやSNSでもなんどか書いてきておりますが、その集大成として石川先生の編集・プロデュースのもと、1冊の本をつくりました。

その本が、印刷され、製本され、ようやく明日、手元に届くというわけです。

本には、私も含めて7人の書き手の作品が収録されています。

「なないろの記」

と題された本は、共に文章を学んだ仲間たちとの合作です。

何か共通のテーマがあるわけではなく、それぞれが自分で書きたい企画を立ち上げ、そこに向かって石川先生のご指導のもと文章を書き進めていった。

それが1冊の本として編まれているわけです。

内容は一般的にイメージされる「文集」レベルではありません。

書き手ひとりひとりが文章を通して自分の人生に本気で向き合った、その結晶が収録されているような感覚。

そうまさに「本気」の「本」なのです。

進め方は書き手によって異なるようです。

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というのは、今回石川先生が編集というお立場で、書き手一人一人に寄り添い、力を引き出してくださっているから。それくらいの個対応、なのです!

私の場合はというと、まずは企画の段階で石川先生と納得するまで打ち合わせをしました。

書きたいと思っているテーマ、切り口、そして章立ての仕方。

私の普段のものの考え方や価値観、経験から客観的なフィードバッグをいただきつつ、ざっくりと企画を固めて着手したわけですが

結局のところ書きはじめてみると「こう」と決めていたテーマから少し違う方向へと筆が動いていきました。

初めは「あれ?あれ?あれ?」なんておもっていたのですが、書き始めるともう止まらない。

不思議なもので自分の中にある「納まるべきテーマ」へと筆が引っ張られていく感覚がありました。

心から向き合いたいと思っていたこと。
そして書いてみたいと思っていたこと。

それが堰を切ったように溢れて、一直線に流れていくように感じました。

もちろん、執筆は一筋縄ではいきませんでした。

途中、何度も自分の表現の至らなさに悩み、一定期間書けなくなることもありました。

私は広告という仕事を通して言葉や文章に向き合っていますが、それでも、いや、だからこそ書けなくなった。

自分のこととなると?
ビジネスや商いを離れて作品を書くとなると?

やったことが、なかったのです。

だからこそ戸惑いましたし、時にはその経験が邪魔をするように感じる場面もありました。

けれども、それもまた私。

石川先生は全て受け止めてくださり、私の個性をといえる部分を飛躍させ、逆に書き手として直した方がよいクセは丁寧にご指導くださりました。

1本の作品を仕上げるまでに、何度添削を繰り返したでしょう。

執筆期間は実際には半年ほどでしたが、その間数え切ればいほどメールのやりとりして書き進めていきました。

この経験を通して私は、書き手というよりも人として、ひとまわり器を広げられた気がしています。

文章を書く、というのはまさに、自分の中にあるものを見にいくこと。そしてそれをできるだけ素直に
表現することなのでしょう。

分かっていたことではありますが、それを本当の意味で体感できたような感覚がありました。

執筆を通して、自分の中がよりクリアになっていったのです。

私が実際に何をテーマにしたのか、それは実際に本を手に取ったあとでまたお伝えいたしますね。

間違いなく私の核にあるテーマのひとつ。

いつか向き合わねばと思っていたことをまずはこのタイミングで刻んでおくことができたように思います。

「感覚」が「文章」となり「本」になる。

かたちあるものになったときまたどんな感覚が押し寄せてくるのか、楽しみでなりません。

本の到着を待つ間の、高鳴る気持ち。

間違いなくこの経験が次の扉を開いていくように思えてなりません。

言葉というもの。
文章というもの。

それらを通じた自分の探求に、私はすっかり夢中になっているのでしょうね^^

本はご希望する方にお読みいただけるよう工夫していく予定でおりますので、是非、ご期待くださいね。

それでは、また書きます!