MONOLOGUE
2022年8月19日
夏の終わりのつれづれ記
お盆も過ぎ、次の季節の足音が聞こえてくるようになりました。降り注ぐようだった光の色が穏やかになり、朝夕には涼やかな風も通り抜けるように。
変わらない日常と、確実に巡っていく季節のコントラストはとても味わい深いものです。

この夏、私は故郷の岩手花巻への帰省を断念し、自宅でゆっくりとした休暇を過ごしました。
「もう少し安心できるときに、帰ってきなさい」
そう両親から諭され時期を改めることにしましたが、思った以上に残念な気持ちが募ってしまい・・・
祖母が初盆でしたし、大好きだった祖父とご先祖様が眠る墓前で報告したいこともありましたから、叶わなかった帰省にどこか悶々とする気持ちがありました。
畑から採ったばかりの野菜。
ひぐらしの声が降りそそぐ林道。
東の山から登って、西の山に沈むお日様。
大切な人と交わす、故郷の言葉。
味わいたかった景色は、日に日に私の心の中で膨らんでいくかのようでした。



そうして迎えた8月13日の盆入りの日のこと。
早朝4時30分頃でしょうか、ふと目が覚めました。
これは私にとってはとても珍しいことです。
外が明るくなりかけているのに気がつき、誘われるように窓辺に向かいました。
カーテンの先に、広がっていた景色。
それは夜と朝の間の、美しいグラデーションでした。
東にはオレンジがかった桃色、西には藍色が残る空模様。これはほんの一瞬、今このときだけの景色なのだろうと思いました。
不思議なことに雨がちらついていてね、だけど雨雲らしきものはほとんど見えないのです。キラキラと落ちてくる雨粒が、まさに光の粒のよう。
空が、泣き笑いしているようにも見えました。
あぁこれは!と思いました。帰省できなかったことにがっかりしている私に、祖父母やご先祖様が声をかけてくれているのかもしれない、と。
どこにいるかは、関係ないんだよ。
どこにいても、美しいものは見られるよ。
それを掬い上げられる心でありなさい。大丈夫
必ず安心して帰れる時がくるから。
子どもたちにも、話して聞かせなさい。
そう微笑まれたように感じたんです。間違いなくこれは、私の中に息づいている大切な人たちが見せてくれた景色。
大丈夫、私はここでちゃあんと生きているよ。そんな言葉が浮かんできて、手を合わさずにはいられませんでした。
目を開けたときには、朝焼けはもう光に変わりつつありました。

あの空を、なんて表現したらいいのだろう。
お盆の間、そんなことを考えていました。言葉にするのが勿体無いような、だけどこのじんわりとひろがるぬくもりもひっくるめて言葉にしておきたいような。
でも私の中にはそれを表す言葉がまだ育まれていないようにも感じました。
日本の伝統色、美しい日本語の辞典なんかもぱらぱらとめくりながら、あの景色と重ね合わせる中でようやく見つけた。これが一番近いかな、と思います。
「あけぼの色」
暁の終わり頃、夜がほのぼのと明けるときに見えるサーモンピンクの色をそのように云うそうです。
好きな色・言葉が、私の中にひとつ増えました。
あの空は、きっと忘れないと思います。
今ここにあることに、有難う。