MONOLOGUE
2021年11月23日
内なる言葉、を育むワケ
フィールドワーク中の、大きな感動
このコラムでも何度か書いていますが、私は思いたったタイミングで街を見にいく、いわゆるフィールドワークの時間を大事にしています。
街に出て、すれ違う人の表情、身につけているもの、耳に入る会話、街に流れる気配みたいなものを全身で感じる。
企画者として欠かすことができない時間のひとつなのですが、
その中で先日たまたま、東京青山の根津美術館の前を通りかかったんです。
根津美術館
https://www.nezu-muse.or.jp
何度となく通ったことのある、割と身近な場所。
ではありますが、いつもせかせかと通り過ぎてしまっていて、お恥ずかしながら中に入ったことはなかった。
ですがその時はなぜか、どうしても、どうしても、入ってみたくなったんです。
時間に余裕もあるし、これはタイミングかもな、なんて思いまして、初めて中に足を踏み入れてみたら。
もうね、驚きました。
美術品の展示と共に、中にはすごくすごく広い日本庭園が広がっていたのです。
茶室が数カ所点在するくらいの広さ!
その庭園もとても手入れが行き届いていて、もう背筋が伸びるようなしゃんとした空気が漂っていまして、
紅葉も見事で、ただただ感動しかありませんでした。
いつも通っている場所、その奥にこんな景色が広がっていたのか!
庭園に配されたベンチに腰を下ろして、言いようのない感動を味わいました。
後で知ったのですが、実業家の初代根津嘉一郎氏がコレクションを秘蔵するのではなく「衆と共に楽しむ」べく財団を設立し、開館した場所なのだとか。
それが空間全体を通して伝わってきて、真に豊かな人の考えるスケール感に改めて驚かされたのです。
絵師、鈴木其一氏の屏風絵を前に
さらに、企画展をやっていたので、そちらも見てきたんですけどね、これもまたとても良かったのです。
江戸時代後期の琳派の絵師 鈴木其一氏の企画展で、重要文化財だという屏風絵が展示してあったのですが、この展示も本当に見事でした。
春と秋の深山の景色を描いた、その屏風絵そのものも、不思議と迫るものを感じたのですが、
私が感動したのは、屏風絵の横に展示してあったパネルや生み出されるに至るまでの過程の展示。
鈴木其一氏が、どんな足跡を辿って、どこでどんな景色を見て、どんな人と関わり、どんなスケッチや書簡を残していたのか。
推測も含めたそれらの展示に対して、いいようのない感動があったのです。
後に重要文化財となる、この目の前にある作品を残すまでに、膨大なスケッチや書簡やメモがあって、それが土台となりこの作品が生まれている。
天才と言われる人でも、表に出てくる作品は、まさに「氷山の一角」で、
その着想にいたるまでにはたくさんのことを感じ、人と交わり、人知れずアウトプットをして、その上に傑作が生まれている。
それを目の当たりにして、大きく心が動くのを感じました。
そう、そういうものだよね。って。妙に、ハラオチしましたね。
そして、こうも思いました。
私も日々こうしてお客様と対峙させていただくなかで、「生み出す」「つくりだす」という仕事をしています。
同時にこうしてコラムを書いたり、自分の講座を開講したりして、言葉や考え方をお伝えする、ということもさせていただいています。
その質を高め続けるためには、土台となるものを育むことを惜しんではいけないな、と。
私の場合は、その多くは「言葉」ということにになるのだろうけど、それを研いていくための自己対話。
そのための感覚を研ぎ澄ますということ。
それらの無数のスケッチを貯めることで、きっとお届けするもの、表に出る「氷山の一角」はより洗練され、それによって人や社会のお役にたてる道は自ずと広がっていくように思えてならないのです。
こうしてコラムやメルマガで言葉を綴るようになり、まもなく3年が経とうとしています。
実はいわゆる「発信」をするようになってから、内なる言葉(自己対話)と、外への言葉(アウトプット)が一緒くたになってしまっていたのも事実。
それぐらい、自分の心に正直に言葉を綴ってきた、ということではあるし、それが悪いということではないけれど、
今、ここにきて改めて、もっと自分の中にある「内なる言葉」を育むことを大切に取り扱っていきたいな、と思いました。
そこにあえて時間と手間暇をかけることで必ず「外への言葉」が深みを増していく、そんな予感がしているのです。
それが必ずや、お客様にご提供するサービスの質をも高めていくと信じているから。
もはやここまでくると、オタクですね笑
私の秋の徒然に、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
私のこの感覚のうつりかわりも、今後も是非ご一緒に楽しんでいただけるとうれしいです。