MONOLOGUE

歩みの先に

暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

おかげさまで、私は元気です。

高い空と鮮やかな百日紅が街を彩り、胸は高鳴りますが昼間はなかなか外に出にくい・・・

ならば、と朝夕の涼しくなったところを見計らって出かけると、毎日少しずつですが次の季節が顔を出しているように感じます。

まもなく立秋ですものね。

そう思うとなおさら、今この光を思い切り味わいたくなってしまいます。

さて今日も、ここ最近の印象的な出来事をお話しさせてくださいね。

先日、東京・高円寺で仕事があり、都内へとでかけてきました。

とある撮影でしたが、スタジオが確定したのが1週間前。当日は前後に予定が入っていたためバタバタと現場へ向かっていたのですが、久しぶりに乗った中央線の車窓を眺めるうちに気がついたんです。

「あれ、高円寺か・・・?懐かしい街だ」

というのも、私は上京してから8年間の間、隣駅の阿佐ヶ谷に住んでいまして、当時はこのあたりに友人も多く、まさに青春時代を過ごした街なのです。

途中からは上京してきた妹との二人暮らしでしたが、私たち姉妹にとってその思い出は忘れ難いもので、小さなアパートはまさに大都会のシェルターのような場所でした。

若く、無防備で、将来のことや恋愛のこと、すべてに体当たりしていくしかない中で、そこだけは安心地帯だった、とでもいうのでしょうか。

不慣れな自炊をして
夜になるとどちらかの部屋に集まって語り
お給料日には誘い合ってささやかな外食をして
ささいなことで姉妹喧嘩もたくさんしたなぁ。

そんな回想を巡らすうちに、ふと思いました。

「そういえば、あのアパート今もあるのかな?」

当時新築だったアパートでしたが、それももう20年前のことです。大きな物件ではなかったし、取り壊されているかも・・・

考え始めると見に行かずにはいられず、仕事の後で見に行ってみることにしました。


街の印象はあまり変わってはいませんでした。

入り組んだ住宅地の路地、小さな商店・・・大好きなお弁当やさんは無くなっていて、仲の良かったクリーニング屋さんは店構えだけ残っていました。

住所を覚えていなかったので半信半疑で進んでいきましたが、身体ってすごいですね。

ちゃあんと、覚えてるんです。

いくつかの角を曲がり進んでいくと、目印にしていたお寺が見えてきて(お寺の存在も、近くに行って初めて思い出しました)、その先の路地を入ると・・・


ありました。

妹と私が住んでいたアパートは当時とさほど変わった様子もなく、そこに建っていました。今も住んでいる人がいるらしく、人の気配もあります。

隣の家も、そのまた隣の家も、すこし古くなりましたが通りの印象はそのままです。

こみあげる感覚はどう表現したらいいのでしょう。

一瞬、自分がいつの時代にいるのか分からなくなるというのか、身体が「当時のわたし」になってしまったよう。ここにいた、という確かな実感が湧いてきます。


ふいに、人の出入りする音がしました。

ゆっくり浸れなかったもどかしさを感じながら、慌てて外観の写真を一枚だけ撮ります。スマートフォンのディスプレイ越しに、あのアパートが見えます。

「ふたりとも元気だよ。大丈夫、私たちそれなりに楽しくやってるよー!」

ふいにそんな言葉が浮かんできました。

あの部屋で、いろいろなことに一喜一憂していたかつての私たち。「20年後」という時がちゃあんとやってくる実感もなかった私たちへ、届くのでしょうか。


上京してからずいぶん時が流れましたが、いつまで経っても東京は自分の中に入っていかないような気がしていました。

私は外から来たから。
岩手のひとだから。

けれどももしかしたら、そうやって無意識のうちに壁を作っていたのは、他でもなく私だったのかもしれません。染まっていくことが、何かを失っていくことのように思えて、怖かったのかな。

もう、そういうのは必要ありませんね。

思い出される風景や心象があって、きゅうっと胸が掴まれるような感覚になる場所。言葉にならない感情が込み上げてくる街。

そう、私には、東京にも「故郷」と思える場所があったのです。


皆さんには、そういう場所はありますか?

大切な時を過ごした場所
心が帰る場所

このコラムを読みながら、思い起こされることがあれば嬉しく思います。

街歩き中に見つけた床屋さん。タイムリーなネーミング!