MONOLOGUE
2024年6月3日
佇まいが語るもの
横浜は薄い雲に覆われて、しっとりと湿った空気です。
あちこちで紫陽花が見頃を迎え、梅雨の季節の訪れを感じさせられます。青や紫、ピンクといった定番色から、白や薄緑のものも。昔から、こんなに種類が豊富だったかしら?
6月の始まり、皆様いかがお過ごしでしょうか?
今日はすこし予定に余裕があったので、コーヒー豆の専門店に買い物に出かけました。
そのお店に通うようになったのは、ここ3ヶ月ほどでしょうか。
近所のお友達の家でいただいたコーヒーが美味しくて美味しくて、「どちらの豆??」と前のめりにお聞きし、以来定期的に通うようになりました。
店内は長年営んでこられたことが伝わってくるぬくもりのある空間です。
いつもいらっしゃるのは、お母さんと、娘さんと・・・家族経営なのかな。壁にはお父さんと愛犬の写真も飾ってあります。
注文するとその場で焙煎してくださるのですが、初めて訪れた時はそのスタイルに驚きました。
だって、焙煎前の白い豆が麻袋に入って、店内所狭しと並んでいるんですよ!
注文するとお母さんがザクザクと豆を掬って、必要な分だけ焙煎してくださるのです。
15分ほどの焙煎の間は、奥のテーブル席で待たせてもらいます。
その間、コーヒーを一杯サービスしてくださるのですが、この時間がまたいいんですよ。
喫茶店ではないので他にメニューはなく、コーヒーを求めに来た人だけのとっておき。
紙コップではなく、カップ&ソーサーでいただけるのも好ましく、その一杯とともにただぼーっとしたり、手持ちの本を眺めたりして過ごします。
店内に香りが深く立ち込めてくると、やがて仕上がった豆を席まで持ってきてくださるのですが、受け取った豆のあたたかいこと!
この店には、「待つ時間」の愛おしさがあります。
なんにもしない時間。
お母さんと娘さんのちょっとしたやりとり。
コーヒーの香りと焙煎機の音。
頭と心に流れる雑音が止まり、ただただコーヒーに満たされる。
忙しない日常のなかにいると、こういう時間は案外持てないものだからこそ、余計に愛おしく感じられるのかもしれません。
もちろん煎りたて・挽きたてのコーヒーは最高に美味しいです。
でも通い詰めてしまうのは、それだけではないのでしょう。お店を構成する要素と時間、たとえば色や温度や香りや音までもが好きで、そこに身を委ねたいから。
足が向いてしまうのかもしれません。
今日たまたま座った席の目の前の壁に、お店のロゴと「15th anniversary」の文字が刻印された壁掛けがあるのに気がつきました。
古材を利用したかのような木製のフレーム、そこにコーヒー豆と麻袋が彫り込まれたデザインで、一点もののように見えます。
きっと長いこと飾られているんだろうな、なんて思いながら気になって尋ねると
「そうねぇ、お店始めて今年で37年目だから・・・」とお母さん。
想像よりもずっと長かったので、えぇーーっ!!と驚いている私に、こう続けました。
「開店以来この場所・このスタイルで、何にも変えてないの。アパレルをやっていたお父さんが急にピンときちゃって、コーヒー屋やるっていうもんだから、わからないながらにとりあえず始めてみてね。
当時は家庭で飲むコーヒーと言ったらインスタントが主流だったから周りからも心配されてね、どうなるかわからないって時もあったけど、なんとかなるものねー!
娘もちゃんと大きくなったし、お父さんが身体壊してからは、こうして一緒にやってくれるしね」
あぁ、これがこの店の空気だ、と思いました。
周りのお店は入れ替わり、街の気配も変わっていく中で、ここで営みを続けてきたといいます。
長く通う常連さんもいて、私のような新参者もいて、お店を起点に「好み」が交錯する。
煎りたて・挽きたてのコーヒーを、家庭で楽しむ時間を届ける。
お父さんの「ピンときた」に家族が乗って、コツコツつくりあげてきた雰囲気がある。
居心地というのは、そうやって作られるのかもしれません。思いや会話、繰り広げられてきた物語というのは、見えないけれど確かにそこにあるのでしょう。
私も小さな会社を営む者として、続ける、ということに思いが馳せられます。長年続けていく中で、佇まいが語るものってあると思います。
言葉や表現の手段を尽くしても語りきれない佇まいが全てのものにおいて存在していて、実は人はそれをちゃあんと感じ取れる生き物なのではないでしょうか。
それは取り繕ったりすることなどできず、自然と溢れ出してくるような・・・
私があの店で味わっているのも、きっとそういう類の感覚なんじゃないかな。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。