MONOLOGUE

節目の日に、感謝を込めて

3月に入り、本格的な春の到来を感じる今日この頃です。

梅が終わって、ミモザや木蓮が開き始めて、間もなく桜も開き始める。

卒業や入学はもちろん、会社においては決算期や人事異動のシーズンでもありますし、環境が変化することの多い時期ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

実はこの春、我が家もひとつの節目を迎えています。

今日は、義両親が仕事を引退する日。25年にわたって経営してきた学習塾を、お仕舞いにするというのです。

50 歳を過ぎ、夫婦でゼロから始めた学習塾

義父母が営んできたのは中高校生をメインに、自分達の目と手が行き届く範囲で指導をする個人塾です。

義母は塾長をしながら自ら数学を教え、義父は経理・総務や運営まわりのあれこれをこなす、まさに夫婦二人三脚の塾。

我が家の子どもたちも週に2回通って勉強を教えてもらいながら、祖父母とのひとときを過ごしてきました。

けれども、年齢とともに毎日通うことがしんどくなってきたこともあり、そろそろゆっくりしようか、と塾を閉めることにしたのです。

義父母はもともと教育の職だったわけではありません。義父は大きな化粧品メーカーに勤務し、義母も結婚するまでは同じでした。

学習塾は義父が50歳を過ぎたときに、会社を辞めて開業したそうですが、それは大きな決断だったことでしょう。

そのまま勤務していれば、そこそこのポストで安泰。
お給料だって悪くなかった。

けれども、思うところがあったのでしょうね。

「これからの人生は、
 なにか地域に関わる仕事がしたい。
 自分の手と頭を動かして
 目の前の人の暮らしのために動きたかった」

と義父が照れくさそうに話してくれたことがあります。

飲食店や喫茶店をする、というアイデアもあったそうですが、考えた末に着地したのは「学習塾」。義母の「座ってできる仕事なら手伝うよ」という一言も後押しになったようです。

とことん自分達でやってみよう

こうして塾をやってきたわけですが、道のりは言うまでもなく山あり谷ありだったといいます。

この地域はフランチャイズも含めて学習塾が多く、ノウハウがあるわけでもないので、最初は閑古鳥が鳴いている状態でした。家賃やリースの支払い、講師へのお給料など、お金は外へ出ていくばかりだったそうです。

開業して2年ほど経ったタイミングで「これではいかん!」と仕切り直しをはじめたのは、義母でした。

なんでも、格好をつけるのをやめて「とことん自分達でやってみよう」と振り切ったんだとか。

時々やっていた広告も一切やめて、できるだけ家賃が安い物件に移転しました。講師を雇うのをやめて、義母自ら勉強を教え始めたんです。

50代半ばの主婦が中高生の数学を自ら学び直して、受験や近隣の学校の傾向も勉強して・・・

義母はサラリと言いますが、私は並のことではないと思います。

「勉強」ではなく、「勉強が好きになること」を教える

この転換がよかったのでしょうね。徐々に生徒たちが定着するようになっていきました。

子育てを終えた義母ならではの子どもとの向き合いというのがあるようで、不思議と子ども達は義母を慕い、お母様方からは子育ての相談を受ける。

近隣は受験対策の塾が多いので、ある意味、異色です。けれども、みんながそれを求めるわけではありませんから、個性になったのだと思います。

義母曰く、教えているのは「勉強」ではなく「勉強が好きになること」だけなんだとか。

それはノウハウなんてものでは括れるものではなく、義母の人生経験が凝縮されたものなのでしょう。

やがて子どもたちが誘い合って入塾するようになり、卒業生が兄弟を連れてくるようになり、大学生になると塾を手伝いに来てくれる子もでてきました。

そういう流れができていったのは、義父母が試行錯誤を繰り返しながらも、目の前の子どもたちをみることから視点をぶらさずにやってきた、その結果なのだと思います。

「自分達でやってみた」

ここに勝るものはありませんね。


義父母がその背で示してくれたこと

塾に行くと、義母の周りにはいつも中高生がいます。塾長、塾長、と慕われ、時に軽口をたたきあいながらも、勉強をしているときはとても真剣。義父はそれを遠くから見つめています。

私は、その雰囲気がとても好きでした。

今回年齢的なこともあり閉める決断をしたわけですが、最後の2週間は毎日のように卒業生たちが塾を訪れていました。

HPもありませんし、SNSをやっているわけでもないのに、皆さんどこから聞いて足を運んできてくれるのか。

こうしてやってきて義父母と思い出話をしては帰っていくのを見ていると、ちゃあんと関係性が育み合えているものは、人伝につながりあっていくのだろうな、と思わずにはいられませんでした。

意図せずとも、ごく自然に。

私は義父母がその背で教えてくれたことを、きっと忘れないと思います。

目の前の人に尽くす姿勢。
何でも人を頼らずに、辛抱強く自分でやってみること。
よいところを見て、試行錯誤を続けてみること。
格好つけずに、本当に大切なことを見極めること。
地域のために動いてみること。

そうしているうちに、めぐりめぐって良くなっていく。

25年も夫婦で商売を続けられたなんて、圧巻としか言いようがありません。

そんなこんなで、この春大磯家も変化の時を迎えています。

義父母は引退に加え、下の娘は小学校に入学します。

そういうときだからこそ、私はこの家をしっかり見つめていこうと思っています。家族の土台を整えた上で、自分ができることを丁寧に積み重ねていく。

家全体で良くなる方向を、長い目で考えていきたいと思っています。

非常にプライベートな話を、最後までお読みくださりありがとうございました。

いろいろと動く時期ですから、そういうときこそ今ここを見る。大事にしていきたいものですね。