MONOLOGUE

「置いていく」という感覚

今日は節分ですね。

季節の節目となる日、いかがお過ごしでしょうか?

幼稚園年長の娘は豆まきだ、と張り切って家を出ていきました。去年までは「鬼怖いー!休む!」と主張し大泣きしていた彼女でしたが、頼もしくなったものです。

この変化が
嬉しいような、淋しいような・・・笑

今日は近況と
そこからの思案をしたためさせてくださいね。

先日、友人でありビジネスパートナーでもある 白河晃子さん と話をしていまして

「置いていく」

という言葉が心に留まったのです。

暮らしのことでも仕事のことでもいいですが、やっていることや感じたことをごくシンプルに紡ぎ出し

「置いていく」

この感覚が今すごくいいな、と思っているのです。

媒体はなんでもよくて、
写真を撮るのもいいですし、言葉にするのもいい。
外に出してもいいし、出さなくてもいい。

ただ自分が生きた姿を切り取って、記録として「置いていく」ということに、うつくしさのようなものを感じるのです。

「置いてきた」ものにはその人の生き様というか、たしかにそこにいた、という余韻が映し出されるような気がするからでしょうか。

ふと振り返った時に、それらの点が足跡になって続いているとしたら・・・

私は自分の後ろに広がる風景を見たいと思いました。

言葉を紡ぐことや表現をすることに、器用な理由や言い訳はいらないと思うのです。

私が日々取り組んでいる文章を書くこと、いわゆる「置いていく」という行為も、なんのためにやるのか、と問われたらうまく答えられません。

社会のため、
誰かのお役に立つため、
なんて大それたものではありません。

けれども動物的な本能として、心がそれをやりたいというから、私は言葉を書き、写真を撮っています。

もちろん、ご縁をいただいてお仕事として承ることもありますが、それを目的にやっているわけではありません。

呼吸と同じような感覚で日々を紡ぎ「置いていく」

それはほかでもなく、自分のためにやっていることなのでしょう。

記録が連なった先を自分に見せてあげるため^^

それをこうして面白がってお付き合いくださる方々がいるというのは、本当に有難いことだと改めて思います。

言葉が書けない、
伝わっていない気がする、
なんてお悩みを、仕事柄よく耳にします。

それは

「だれかを、どうにかさせよう」
「役に立つ自分を示そう」
「注目させよう」

と思うからであって、そう思えば思うほど悩みは加速するんじゃないかな、と私は思います。

それを手放した時に湧いてくる言葉というのは、実にピュアで惹きつけられるものがある。だからこそ必然的に必要な人にも届いていくのだと思います。

これは体感値でしかありませんが、結構的を得ているような気がします^^

2月は私にとって楽しみでたまらない予定がたくさん控えています。

明日の立春には、映画「人生フルーツ」の上映会 があります。こちらはすでに満席となってしまっていますが、かけがえのない友人たちと共に開催します。

また、来週からは主宰している「言育サロン」でオープンサロンを行います。こちらは用意した全3回の日程が全て満席となりまして、今、キャンセル待ち を承っております。

作家の石川真理子先生に伴走いただいているエッセイの執筆も大詰めで、最後の校正のやりとりを進めています。

どれも昨年からゆっくりと丁寧にあたためてきた企画ばかり。決して派手ではありませんが、深ーい味わいになることと思います^^

これらに取り組むなかで見えた風景、感じ入るところをまた言葉や写真で「置いていく」

そんなふうに重ねていく日々が私は楽しみでなりません。

近況はこちらのコラムか、Instagramを中心に書いていきますので、是非ご自身のペースでお付き合いいただけたら幸いです。


◎言育 オープンサロン

どなたでも無料でご参加いただける「オープンサロン」を開催します。
詳細・キャンセル待ちのご登録はこちら をご確認くださいませ。


◎Instagram

タイムリーな言葉は こちら に綴っています。


春に向かっているとはいえ、まだまだ寒い日が続いております。

皆様、どうかご自愛くださいね。