MONOLOGUE
2022年6月29日
つながれていく、根底にあるもの
お隣の庭の百合のつぼみが膨らんできました。
あの大輪の花を咲かせるだけあり結構迫力があって、いつ開くかとワクワクしているのですが、年長の娘がそのつぼみを指差してこう言ったんです。
「ママ、バナナなってるよ!」
いやいや、それはないだろう、と大笑いさせられました。
季節のうつりかわりとともにさまざまな顔を見せてくれる美しい日本庭園。
いつでも見にいらしてね、と声をかけてくださるお隣のおばあちゃまに感謝して、楽しませていただきます。
つくり手の姿勢が息づくもの
先日本屋さんで、雑誌「暮しの手帖」を手に取ったんです。
自分のためにではなくてね、岩手花巻にいる祖母に送ってあげようと思ったの。
以前、暮しの手帖社から出ている単行本を何冊かプレゼントしたときに「やっぱり暮しの手帖はいいわぁ」と、なんどもなんども読み返していたのを思い出して
最新刊を送ったらまた喜んでくれるかな、と気まぐれに連れて帰ったのです。
送る前にまずは自分が読んでみるか、と何気なくページをひらいてみたのですが、表紙をめくった1ページ目に書いてあった言葉に、私は大きく心を震わされてしまってね。
そのまま、ここに転機させてくださいね。
これはあなたの手帖です。
いろいろのことが
ここには書きつけてある。
この中のどれか一つ二つは
すぐ今日あなたの暮しに役立ち
せめてどれかもう一つ二つは
すぐには役に立たないようにみえても
やがてこころの底ふかくしずんで
いつかあなたの暮し方を変えてしまう
そんなふうな
これはあなたの暮しの手帖です
明朝の縦書きでそう記してありまして、
その下に、こんな補足の説明がありました。
『暮しの手帖』は戦後間もない1948年、
「もう二度と戦争を起こさないために、一人ひとりが暮らしを大切にする世の中にしたい」
そんな理念で創刊しました。
この言葉は初代編集長 花森安治が創刊時に書き記し、私たちが変わらず胸に刻む思いとして、ここに掲げています。
雑誌の表紙を開いた1ページ目って、読者の方誰もが高い期待感と集中力をもって目にする場所、だと思うんです。
ゆえに広告取引においても大きな金額で取引され、雑誌のイメージを左右するため審査も厳しいものなのですが、そもそも暮しの手帖は、雑誌全体と通して広告を入れない。
そしてこの大事なページに、編集理念をまっすぐに記している。
読者をその世界観にぐっと誘う、言葉とクリエイティブの強さがありました。
久しぶり、いやもしかしたら初めて?じっくりと見た「暮しの手帖」は、
おそらく高齢の方にも読みやすいよう少し大きい文字を使って、衣・食・住という暮しのあれこれはもちろんのこと、よく生きる、人生を謳歌するための知恵や視点に溢れていました。
決して派手ではないんです。
だけどそこに記された記事、そして取材された人の姿にちゃあんと地に足ついた笑顔がある。
ひと記事ひと記事紡がれた言葉に、使い捨てではない愛を感じました。
自分の半径5メートル、そのミニマムなところの幸せなしにはその先は成しえないよ、という、強いメッセージを私は受け取りました。
雑誌冒頭に記されていた言葉は、ブランディングや広告の言葉で言うなら、いわゆる「コンセプト」といわれるもの。雑誌や書籍になると「編集方針」というのでしょうか。
それを読者にも淀みない言葉で伝えるからこそ、読み進めるにあたっての気持ちが整う、そんな印象もありました。
ものを書き、伝える者としての姿勢
私のコラムも、「暮しの手帖」とは言いませんが、大事にしていることはとても近いものがあるんです。
なんて言ったら恐れ多いのですが笑
本当に、そういう気持ちで書いているところがある。
あるときは役に立つかもしれないし、あるときはピンとこないかもしれない。
タイミングってありますから、今すぐ何かのためになるものを、なんて思っていないんですよね。
だけどお読みくださった方の心の中に言葉の残像がうつり、その方の必要なタイミングで「あぁ、これってあのとき大磯が言ってたことと重なるな」なんてね、
そんなふうにつながっていく言葉を目の前の人に届けるように届けようという心持ちで書いているから、
「暮しの手帖」の言葉に惹かれたのは、ものを書き、伝える者としての、強い共感もあったのかもしれません。
実はこの話には後日談があって、先日世田谷文学館に足を運んだときに、暮しの手帖のバッグナンバーが置いてあったんです。
きっと創刊に近いところからあったんじゃないかな。
貴重な資料なのに「どなたでもどうぞ」と無造作に並んでいたので、試しに自分の生まれた年、1980年のものを手に取って何気なく開いてみたら!!
表紙を開いたページ(最新号と同じところ)に、冒頭でご紹介した理念が、一語一句変わらずに記してあったのです。
涙が、出ました。
繋がれてきたものの大きさ、そこに関わって来られた方の意思、そしてこうしている今も動いでおられるであろう、編集の最前線にいる方々の偉大さを知ったように思います。
強い想い、意思あるものは、間違いなく届くし、繋がれていく。
それを事実で示してくださる雑誌に、このタイミングで出会えたのも、きっと意味があるのだと思いました。
今日も最後までお読みくださりありがとうございました。私もささやかではありますが、これからも心を込めて、このコラムを紡いでいきますね。