MONOLOGUE

「ほんもの」に触れて、見えたもの

今日は、私の住む横浜は快晴。

あんまり気持ちよく青空が広がっているものだから、家にこもって仕事だけしてるのがもったいない気がして散歩がてら地元の大好きな喫茶店を訪れこのコラムを書いています。

ここね、すごく居心地がいいんですよ。

カフェ、というより、
いわゆる「喫茶店」で、

街の人たちが入れ替わり立ち替わりやってきて、マスターとちょうどいい塩梅の世間話をし、一息ついて店を後にする。

このお店にいると、街の営み、人の暮らし、みたいなのが感じられて、なんだか幸せにな気持ちになるんです。

それもこれも、マスターのお人柄ゆえの空気づくりなのだんだろうな^^

旧白洲邸「武相荘」で、時を過ごして

先日、ビジネスパートナーであり友人の白河晃子さんと、前々から気になって仕方なかった場所に
足を運んできました。

白洲次郎、正子夫妻が暮らした自邸をミュージアムとして公開している旧白洲邸「武相荘」。

今回初めて訪れたのですが、おもわずため息がでてしまうほどの素晴らしい空間でした。

次郎さんは政財界で、
正子さんは文筆の世界で、
多大な功績を残されたご夫妻ですが、

そのお二人が、お二人たる所以を垣間見た感覚というのかな。

ご自身の道理にまっすぐで、物事を判断する自分のものさしをしっかりお持ちになっていたご様子が、
暮らしのそこここに息づいているんです。


白洲夫妻は戦争が激しくなる前にこの地に移り住まれ、もとは農家だったという建物に、繰り返し手を入れてお住まいになっていたのだそうです。

自分たち好みに改築をし、工作を施したり、調度品を選んだり。

決して華美ではないけれど選ぶ物ひとつひとつにある一定の美しい尺度があって、その空間は感嘆しかありませんでした。

季節や時の移り変わりを暮らしの中で当たり前に愛でていらした、その姿が残されたモノを通してありありと伝わってくるのです。

歴史的に語られるお二人の大業、

だけどその背景にあるのは、ここでの確かな暮らしだった、というのが、私に残った体感値でした。

少しの間、母屋の縁側に座りひなたぼっこさせてもらったんですけどね、これがまたなんともいえない不思議な時間の流れを感じました。


正子さんもこうしてここに座ってお庭をご覧になることもあったのかなぁ、なんて思うとね、自分の目に入ってくるものが正子さんの目と重なり合うように感じる瞬間もあって。

恐れ多いのですが笑

そんな味わい深い時間を過ごしてきました。

「本物」に触れて、感じるようになった違和感

とにかく言葉では言い尽くせない良き時間を過ごして帰宅した後、実は私は、自分自身が少し変化しているのを感じています。

というのもね、

どうしてかな。それまで当たり前に暮らしていた自分の空間、時間の使い方に少し違和感を感じるようになっていて、

あれ?本棚のこの本、なんかグッとこない。
あれ?食器って、本当にこんなに必要?
この時間って、なんか気持ち悪い、、、

みたいに、暮らしの中で、空気のように存在していたいくつかのものが急に色褪せて見えるようになり、違和感が浮き彫りになってしまった感覚があるんです。

それは正子さんへの憧れとか、感化とか、そういうことを超えて、

あの見事なまでに、自分に納得のいく生き方を貫いた美しい空間。いわば「本物」にふれたことで「あなたは、どうしたいの?」って、自分にもう一度問いたくなった感じかな。


よく考えたら私、昨年秋ぐらいから本当に突っ走ってきたから笑

見逃していた何かがあったのかもなぁ、なんて思いました。

大切な家族との別れもあったし
故郷での気づきもあったし
新たな学びや、事業の立ち上げもあった。

その大きな流れに加えて日々たくさんの出来事が紛れ込んできて、

よく考えたら立ち止まる時間なんてつくってこなかったから、見逃していたいくつもの心のヒダがあるように感じたのです。

それが圧倒的な空間に身を置いてみて顕在化された、みたいな感覚なのかな。今の私は、それを改めて、見にいこうと思っています。


暮らしレベルでしっくりこないものを見つめ直して、それをやりながら自分をもう一度顧みていくこと。

春のこの兆しのなかで、そうやって丁寧に身辺を調えなおしていったときに、何かが萌芽しそうな予感がするし、こうして日々お届けする視点や言葉も今よりもっとみずみずしくなっていく気がするんですよね。

我が家からはそう遠くない、鶴川の武相荘で、旅にも似た感覚を味わった一日。

うん、とてもよいひとときでした。