MONOLOGUE
2020年5月18日
転機ともいえる、仕事の出会い
私にとっての「仕事」とは?
私は幼いころから、「働く」ということに憧れていたように思います。
それは、幼稚園教諭として使命感を持って働く母と、カメラ好きが長じて精密機器メーカーに職人として勤務していた父の影響、かな。
園でのことを話し始めると熱くなって止まらない母。
雄弁ではないけれど自室にこもって仕事に没頭する父。
その両親の姿から、「仕事はワクワクと取り組むもの」であり、「得意なこと、好きなことの延長で選ぶ」という感覚が当たり前に染みついていました。
自分は何が好きなんだろう。
どうやって人の役に立てるんだろう。
そう自問し続け、選んだ道が「広告の仕事」でした。
自分のアイディアで誰かが驚き、楽しそうに笑っている。
その顔を想像しながらコツコツとモノを作ることが大好きでしたし、クラスや家族でのイベントごとの企画や準備は放っといても手や体が動く感覚があったので、
広告の仕事を志したのは自然な流れだったように思います。
ターニングポイントとなったプロジェクト
広告業界になんとか滑り込み、夢中になって仕事に取り組んでいる中、30歳を目前に転機ともいえる仕事との出会いをいただくことになります。
それは、大手メーカーさんの基幹ブランドのリブランディングプロジェクト。
誰もが知っている、長く愛されている定番商品ではありながらも売り上げが伸び悩んでおり、コミュニケーションを大きく刷新してブランドのイメージを変える。
そのプロジェクトに関わらせていただくことになったのです。
広告の仕事のなかでも、
◎単発の仕事ではなく、パートナーとして長期的に寄り添える仕事がしたい。
◎お得意先様とともに、商品を育てることに熱くなりたい。
◎アイデアやクリエイティブにこだわった仕事がしたい。
いわゆる「ブランド」の仕事がしたいと思っていたので、またとないチャンス、大きな経験でした。
この仕事は、
・CMからWEB、店頭まで一連のコミュニケーション設計に携わる。
・翌年、翌々年と中長期での戦略を見据え今を動かす。
・関わるスタッフも多く、大所帯を引っ張っていく。
・業界を牽引するトップクリエイターと仕事をする。
など、どこをとっても私にとってはチャレンジングなことばかり。「楽しい」という感覚もあったけれど、それ以上に食らいついていくのに「必死」でした。
あれだけ全力で取り組めたのは、もちろん希望していた仕事どまんなかだったから、というのもありますが、
それ以上に、本気でこのブランドをよみがえらせようとする、得意先のご担当者の熱い想いに深く共鳴していたからだと思います。
そして私自身が、担当するブランドにはそれだけの魅力があると信じていたから。
なんとか、こたえたい。
一人でも多くの方に手に取ってもらいたい。
その一心で、昼夜問わず働きました。
お得意先様の社をあげての取り組みと、スタッフ一丸となった向き合いが功を奏し、
少しずつブランドの風向きが変わり始めたのは、携わるようになり2年ほど経った時のことでした。
コミュニケーションを変えて、初めから爆発的に変化したわけではなく、じわじわと少しずつ受け入れてくださるお客様が増えていったのです。
売上数値としてももちろんのこと、
スーパーのレジ前でカゴに入れている方が増えていったり、多くのコンビニの棚で目にするようになったり、ゴミ回収所で空になったパッケージを見かけることも多くなりました。
「売れている」「市場から受け入れられている」実感値はこの上なくうれしいものでした。
私はこの経験を通じて、ブランドを育てるうえでの
◎継続の大切さ
◎芯にある魅力を探し、信じ、表現し続けること
◎そこに向き合う覚悟
を学ぶとともに、ブランドに対して誠実に真摯に向き合う姿勢は、お得意先様や関わるメンバー、ひいてはその先の生活者に必ず伝わり、喜んでいただけることを知りました。
成功体験は、病みつきになる!?
仕事をしていると、大なり小なり「成功体験」は積み重なっていくもので、それによる喜びは、病みつきになると私は思います。
もちろん、上述のプロジェクトではたくさんの壁にぶつかりましたし、自分のできなさ、ふがいなさに涙することもありましたが、本気で取り組んだからこそ、味わうことができた喜びがたくさんありました。
そして、渦中にいたときには気がつきませんでしたが、たくさんの「できること」を積み重ねる機会をいただいたと思っています。
間違いなく、これは私の仕事人生における大きなターニングポイント。
取り組む機会をいただいたことに心から感謝していますし、担当させていただいたブランドは今も私にとって愛する大切なブランドです。
携わって4年ほど経ったとき、私は妊娠し育児休暇をいただきくことになりますが、復帰後も広告の仕事を続ける決意をしたのは、やはりその醍醐味を知っているから、だと思います。
キャリア形成に悩み、もがきながらも、やっぱりものづくりの現場に身を置くことを諦めなかった、その選択と動き方が今のVISION BRIDGEの原点だったように思うので、
次回はそのころを振り返ってみようと思います。
私の物語 ~Life & Career~
第1話:◀Now
転機ともいえる、仕事との出会い
第2話:◀Next!
すべての経験が、「キャリア」になる
第3話:
個での活動は、こうしてはじまった
第4話:
「はた」を「らく」にする!?
第5話:
パラレルキャリアを軌道に乗せるには?
第6話:
ご報告。その想いを未来へ。
第7話:
法人化とHP公開のご報告