ブランディング

言葉を磨く、その舞台裏とは?

「言語化」を、言語化する!

日に日に、あたたかくなってきましたね。
私の住む横浜は清々しい青空が広がり、とっても心地いい一日になりそう。

立春を過ぎてから、庭のお花の蕾も日に日に膨らんできて、開花が本当に待ち遠しいです。

さて、今回は、「言葉」についてお話させてくださいね。

どうやって、言葉を磨いているの?

情景が目に浮かぶような文章を書くけど、これって昔からできたの??

ありがたいことにここ最近、そんなふうにお聞きいただくことが本当に増えてきたので、

私なりにその方法を整理し、
「言葉を磨く舞台裏」として、お届けしてみたいと思います。

良質な言葉に触れ、自分に落とし込む!

私は広告の仕事をしているので、業務を通じて、「言葉を見る・触れる・判断する」という機会は多いように思うんです。

限られた枠(TVCMなら15秒・30秒)で、最大限にその魅力を伝える言葉を日々考え、議論していますし、

職業柄、日常生活の中で、自ずと広告の表現に目が行ってしまう、なんてこともしばしば。

だからきっと、

「目に入ってくる言葉の総量」
「プロが作り出した洗練された言葉」

に接する機会が多いのだとは思います。

それが知らず知らずのうちに、言語化の筋肉になっていることは間違いないのですが、

それだけでは、自分自身が発する「言葉を磨く」には至らないと思っています。

私がいつもやっていること。

それは、

心に留まる言葉を見逃さない。
そのままやり過ごさない。

ということなんです。

例えば、広告コピーにかぎらず、本や雑誌、歌詞やだれかのインタビューなんかを見ていて、

はっとした言葉、
好きだなぁ、という言葉、
ん?という違和感を感じた言葉

があったとき。

それを流さずに自分の中で再解釈し、「落とし込む」という作業をしています。

例えば、こんな感じで、、、

=====

◎この言葉は、誰に、何を伝えようとしているのか。
◎なぜ、こんな言い回しをしたのか。
◎そこに対して自分はどう感じるのか。
◎そもそも、どうしてこの言葉に心が動いたのか。
◎自分なら、どんな言葉を使うか。

=====

う~ん、なんともマニアックな話なのですが、

自分の感性に引っかかってきた言葉の背景に想いを巡らしていく感じ、というのでしょうか。

時にその言葉を発した人になりきってみたり、
時に自分の原体験とその言葉を重ねてみたり。

外から入ってきた言葉を着火剤に、

「自分なりの考え」
「自分の言葉」

を走らせてみるイメージ。

この作業が間違いなく、発する言葉の土台になっています。

それはこういった発信に限らず、人と話すとき、語るときもしかり。

お得意先様やお客様、仲間や上司との会話の途中で、普段言葉を起点にあれこれ思案していることが掘り起こされ、

発する言葉が熱を帯びたり、深みが増すように感じることもあるから。

「言葉」を自分の中に落とし込み、自分の考えへと変換する作業ってすごく大事だな、と体感しています。

言葉と感情が一致するニュアンスを追求する!

先にお伝えしたのはまさに、インプットからアウトプットを生み出すヒントになるかと思いますが、ここからは、私が言葉を綴る時。

要はアウトプットする段になって一番気を付けていることをお伝えします。

それが、これ!!

「違和感のある言葉を使わない」

言葉の持つ微妙なニュアンスが、自分の感情にズレがないかを吟味し、言葉を選ぶことを大事にしています。

どういうことかというと、たとえば、

「得意先」
「クライアント」
「お客様」

これらは近い言葉ではありますが、感じ取るニュアンスは異なる、と私は思っています。

ちなみに私は、会社の仕事でご一緒するお取引先は、組織対組織でガッチリ向き合う印象を感じる「得意先」を、

VISION BRIDGEのご依頼主様は、事業の代表者の方と大磯という個と個のパートナーシップを感じる「お客様」を、

意図して使い分けています。

このような類語の使い分け以外では、ご自身が好きでよく使う言葉に注目し、なぜその表現が好きなのか、選びたくなるのか、を考えてみるのもおすすめです。

私がよく使う言葉「くらかワード」でいうなら、

綴る、
紡ぐ、
育む、
こしらえる、
どまんなか、、、

このあたりの言葉はもっとシンプルな言い回しもありますが、その言葉の映像まで頭の中に描いた上で、しっくりくるものを選んでいます。

使う言葉を吟味するって、時間も手間もそれなりに要しますし、面倒だと思うこともあるかもしれません。

でもね、私はそうやって発する感情や心に違和感のない言葉が、自分が書いていて心地がいいし

その心地よさはきっと、お読みくださる方にも伝わるように思えてならないのです。

自分の感情と言葉を一致させた正直な言葉だからこそ、お読みくださった方を元気にできたり、お役に立てたり。

もしかしたら背を押す、なんてこともできるんじゃないか、と信じているのかもしれません。

半面で、ちょっと怖いなと思うのは、そうやって言葉を紡いでいくと、

自分の心が曇っている時、感情がうまく処理しきれていないときは、それがそのまま出てしまうんですよね。

だから、私はそういうときは、無理して綴るのをやめて、別の作業に集中するようにしています。

一球入魂ならぬ、「一言入魂」

昔、部活でテニスをやっていたんですけど、先輩から代々受け継がれてきたハチマキを巻いて練習していて、そこにこんな文字が刺繍してあったんです。

「一球入魂」

私は、言葉も一緒だと思うんです。

そのひと言、そのひと記事に、命を注ぐように言葉を扱う。

そうやって紡いでいく言葉は必ず必要な人に届くと信じているし、なによりも発している自分自身の姿勢をも正してくれる。

「一言入魂」

私自身も引き続き、追求していきたいなと思っています。